こころのドクターのひとりごと

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君がいた夏

パソコンを使ったり、買い物でカードを使ったりするときに、よく暗証番号やパスワードを要求される。そのときに、間違った暗証番号を入れてしまったりすると、冷たく機械に拒否される。
それにしても、あちこちで暗証番号やらパスワードを求められて、どれがどの番号だったのか、パスワードだったのかわからない状況に陥ったりする。時には、「オレだよ、俺!」と自分を認めてくれない機械相手に腹を立てたりする。人と人とのつながりが失われつつある現代、セキュリティも大事だけれど、何かしっくりしない気持ちにもなる。
家族や恋人に会ったとき、「暗証番号を入力してください。」と言われたら、どうすればいいのだろう?「オレだよ、俺!」にだまされた高齢者は、久しぶりの家族からの連絡と信じて懸命に家族を支えようとしたのではないだろうか?
「ただいま。」「おかえりなさい。」そんな何でもないつながりが、今何故か懐かしく愛おしく感じる。暗証番号の要らない、本当の強いつながりがずっと消えませんように・・・

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


裸の王様

小学校の時の思い出を聞かれて、勉強の思い出ばかり出てくる人はいるだろうか?勉強の思い出よりも、昼休みに運動場で遊んだり、学校からの帰りに道草をしたりした時の思い出が次々と出てきたりするのではないだろうか。教科書の余白に書いた落書き、道端で拾ったおもちゃのコイン。取るに足らないような、価値のないようなことがとても輝いてみえた。今も、書類を整理したり、パソコンに向かったりしている時に、ふと思い出すのは昔懸命に覚えた数学の公式ではなく、歴史の年号でもなく、テレビでみたCMのナンセンスなセリフだったりする。うつになり、自殺する人たちが後を絶たない現代。死を選ぶ彼らは、自分自身が価値のないように思いつめていることが多い。どんなに才能があろうとも、どんなに立派な仕事に就いていようとも、ひとりぼっちでさびしい思いをしているのかもしれない。
無駄を削ぎ落とされ、裸の王様になって震えているのかもしれない。
もう一度道草を楽しみませんか?みんなで、やさしさという上着を掛け合いながら・・・

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


傘がない

経済不安、自殺問題、少子高齢化、格差社会・・・。
さまざまな問題が私たちに雨あられのように降り注いでくる。大人になり、自立した生活を営んでいるはずの私たちが、雨に濡れた子どものように孤独に震えてしまっている。
昔、下校時に雨に降られると、雨宿りしながら母親が迎えに来てくれるのを待つのがとても嬉しかったりした。肩が濡れたりするのに、わざと一つの傘に入って甘えたり、わざと水たまりを歩いて叱られたりもした。濡れることよりも、自分のことを大切にしてくれる人がいるだけで幸せだったのかもしれない。
今、雨の中ずぶ濡れの私たちを思っていてくれる人はいるだろうか?一生懸命がんばってもがんばっても雨の中を抜け出せないで苦しんでいる私たちのことを。きっと今もいてくれると信じたい。雨の中抱きしめてくれる人がいることを。肩を寄せ合い、雨あがりの虹を見つめあえる人がいてくれることを・・・

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


星を継ぐもの

ずいぶん昔、郡部のある高齢者施設で働いていた看護師さんに聞いた話である。彼女は長く都市部の総合病院で最先端の医療に携わっていた。病院では、多くの人の死に出会った。命を救いたいと懸命に働いてきた。
いまの施設で、ある男性高齢者の命がそう長くないとわかったとき、彼は病院に入院することを勧めても断り続けた。あなたのそばで逝きたい・・・それが男性の願いだった。彼女はそばに最新の医療機器も延命の機械もないことで戸惑った。彼女は自分の手をみつめ、思った。私には、まだこの手がある。命の灯が消える日、ずっと手を握り続けた。最後の瞬間、力を失っていたはずの彼の手から何かが伝わってきたように感じた。たくさんの人の死に出会ってきたはずなのに、初めて死にゆく人をおくることができたと思った。医療って何だろう?命って何だろう?結んだ手から伝わってきたものこそ、命なのだと思ったという。
それからしばらくたったとき、私は初めて、彼女に重い障害をもつ子どもがいることを知った。彼女の手はしっかりと子どもの小さな手を握りしめていた。
未来に続く大切な命がそこにあった・・・。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


はなればなれの君へ

映画「竜とそばかすの姫」で、主人公の家で飼われている犬の前脚のひとつが途中から失われている。事故なのか、誰かに虐待されたのか、それは定かではない。その犬に餌を与える主人公。ほんのちょっとしたシーンだけれど、この映画が伝えたかった思いがここにもあらわれているように感じる。今年、私の亡くなった母が飼っていた犬がその生に終わりを告げた。とても臆病で、些細なことで噛みついてくる犬だった。母は散歩の度にいつも腕を噛まれていた。母がガンでホスピス病棟に入院したときに、彼は我が家にやってきた。その彼が、毎晩夜になると、歯をむき出し、目を真っ赤にして私たち人間を襲ってきた。誰かに捨てられ、子どもらに棒で叩かれていた犬だと母から聞いていた。人を信じられず、不安と恐怖で、フラッシュバックが起きているのだろう。私の睡眠が妨げられるので、1年半の間、夜は妻が居間のソファで彼の横で寝ていた。噛みつくことはおさまらず、妻は腕や足を噛まれ続けた。100回噛まれたら101回抱きしめてあげればいい。いつのまにか、彼は妻にだけは甘えられるようになっていた。はなればなれになると不安そうに妻を探していた。その彼が母と同じようにガンに侵された。衰弱し、自分で食べられなくなった彼に妻はスプーンで餌を口に運ぶ。彼の目に涙が溢れているように見えた。そして、命の灯は静かに消えていった。愛されることに臆病だった君へ。はなればなれでも、いつまでも一緒だよ…。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


モノより思い出

コロナ禍で、旅行にも遊びにも出かけにくい状況が続く中、また、夏が通り過ぎていく。高い買い物をしたり、贅沢をしたりしても、何か物足りなさを感じる。何とも言えない空虚感が世界を覆う中での世界的な食糧危機、経済危機。石油などの燃料も流通が滞るようになり、車のガソリンの値段も高騰。昔、「のんびり行こうよ~」と歌いながら動かなくなったクルマを人が押して歩く石油会社のCMがあった。日本の高度経済成長のもと、モーレツに働くことを強いられ、疲弊していく日本人の姿への強烈なメッセージとして大きなインパクトを与えていた。このCMを作った天才CM作家の杉山登志は、数多くの名作を生み出しながら、「ハッピーでないのに、ハッピーな世界などえがけません」との言葉を残して、30代の若さで自ら死を選んでいる。彼の死から約50年。いまだ、本当の幸せは何なのか問われ続けている。親と子が生涯に顔を合わせて一緒に過ごせる時間は、母親で実質7年、父親で3年だという。それも子どもが18歳になるまでに、その多くが費やされるという。20年ほど前、クルマのCMで流れた名コピーがある。「モノより思い出。」こんな時代だからこそ、親と子の、家族の思い出をいっぱいいっぱい作ってほしい。どんな高い買い物よりも大切な、ハッピーな思い出を・・・。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)
 


生きる・・・

子どもの頃、近所に精神障害の女性がいた。いまなら「統合失調」と診断されているだろう中高年の女性だった。学習塾の隣で暮らしていて、子どもたちに、「お宿題ですか?ごくろうさま」と声をかけていた。彼女が見せてくれたノートには、意味のわからない支離滅裂な言葉が書かれていた。それをいつも大事に携えていた。ある日、彼女の姿が見えなくなって何日もたったとき、心配した私の母親と近所の人とが家を訪れると、体調を崩したままの彼女を発見した。みんなの懸命の手当のかいもなく数日後に亡くなった。
いま、日本では「共生社会」という言葉が、よく使われるようになった。しかしながら、言葉だけでなく、本当に人と人とがつながる社会になっているのだろうか?
「ネパールの赤ひげ」と呼ばれ、昔、アジアの貧しい国々で感染症対策を行っていた岩村昇さんという医師がいる。ネパールのある田舎の村で重傷のおばあさんを診察、病院へ搬送する手段がなくて困っていたとき、ちょうど通りかかった青年がおばあさんを背負って山道を三日間歩いて病院まで運んでくれた。岩村さんがお礼をしょうとしたとき、彼はお金を受け取るのを拒んだという。若い体力のある自分が、病気で体力をなくしているおばあさんに、たった三日間体力をお裾分けしただけなのだと。はだしの足の裏から血を流しながら去って行く彼が残した言葉を

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)
 


「J.BOY」~雨ニモマケズ~

まだ精神科医の駆け出しだった頃、福島で行われた児童思春期関係の学会にいっしょに出かけた友がいた。学会を終えて、岩手まで足を延ばした。石川啄木や宮沢賢治らの足跡を訪ねた後、山間にある温泉宿に投宿した。混浴の露天風呂があるところで、二人ひそかに胸躍らせながら、露天風呂に向かった。湯煙の中、高齢のご婦人数人に囲まれ、そそくさと部屋に戻った。部屋であれこれと精神医学のことや理想とする精神医療について語り合った。彼は、当直の夜には病院の古いカルテを片っ端から読んでいると語った。不十分な対応しかされてこなかった精神医療の貧困を嘆いていた。心を病み苦しむ子どもたちやその親に自分たちに何ができるのか、布団に入ったあとも話は尽きなかった。いつのまにか眠りにつき、気がつくと、朝。ちょっと散歩にと、外に出た彼が朝もやの中に消えてしまうような錯覚におそわれた。その数ヶ月後、彼は20代の若さで亡くなった。葬儀の終わりに、喪主の挨拶があった。「医師になることができて満足だったと思います・・・」と。「違う!」と思った。もっともっとやりたいことがあったんだと涙が止まらなかった。それから長い年月がたった。亡くなった彼が理想とする世界はまだまだ遠い。自分もいまだに大したこともできず、ただいたずらに時間を過ごす毎日。それでも、少しずつでも進んでいきたいと思う。彼が目指した、誰もがしあわせに生きることのできる世界の実現に向けて。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


夢の途中

最近話題の睡眠に良い効果をもたらすという乳酸菌飲料を飲むようになって、やたら夢を見るようになったと感じていると、ネットにもいろいろ書かれているということを聞き、確認した。悪夢を見るとかいろいろとネット上でも騒がれているようだった。そういえば、職場のスタッフにやたらせっつかれている夢や、なぜか裸に透明なレインコートを着ていて戸惑っている夢、きれいな女優さんとデートしている夢など実にバラエティに富んだ夢を見ているなあと思う。夢が覚めた後も、あんなこと、こんなこと、現実の中で実現できていないこと、悔やんでいることなどに思い馳せるようになった。夢は現実の、現実は夢のつづき。現実は思い通りにいかないまま、気がつけば。いつの間にか私も「定年退職」の通知をもらっている。これまでに何がしてこれたかなと思うと、本当に心許ない。
春が来て、また出会いと別れの季節。大切な人と別れるとき、「また会おうね」と言葉を交わしながら、ずっと会えないままの人も多い。だから、桜の季節になると、春なのになぜかもの悲しい気持ちにもなるのだろう。それなのに、桜が散る頃には、大切な人との別れの悲しみを忘れ、もう新しい現実に向かって歩き出している。それもまた大切なことかもしれないけれど。せめて、夢の中で、大切な縁にまた会いたいと願いながら、多くの人が眠りにつき、夢を見ているのかもしれない。深い心の底でつながっている愛を忘れないために・・・。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)


雑草という草

庭で草むしりをさせられているとき、ふと小さな可愛い花を咲かせている草に出くわした。むしっていいのか、どうしたらいいのか迷いながら、そっとそのままに残しておいた。今TV放映されている「らんまん」のモデルの牧野富太郎の「雑草という草はない」という有名な言葉が頭をかすめていく。いま、あちこちの公園には整備された芝生や花壇が増え、色とりどりの華麗な花が季節を彩っている。高知城の周りの公園もずいぶんきれいに整備された。仕事の合間に、また休日の憩いの時間を過ごしに、多くの人々が訪れることになるだろう。でも、いわゆる雑草が目立つようになってくると、また雑草は抜かれ、刈られていくだろう。踏まれても踏まれても、雑草は力強く立ち上がると言われたりするけれど、決してそうではないらしい。ときには地を這い、ときには地に埋もれながら、自分にあった場所をみつけ、弱くても、ありのまま生きられる生き方をみつけているのだという。決して、無理して、華麗な花になどなろうとはしていないのだ。芸能人の舞台や開店・開業などのお祝いで飾られる胡蝶蘭のような華麗で高価な花も、いつかは枯れていく。爛漫(らんまん)の爛の意味には、あざやか・はなやか、といった意味の他に、くさる・ただれる、といった相反する意味がある。はなやかな表舞台の裏側でくさることなく、懸命に生きている人々が、小さな花を咲かせている。それこそが、本当に美しい花なのだと思う。

by 精神保健福祉センター所長(精神科医)

 



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